生活の一部です。
[穏便なゲラルト像を――]
数年越しで初代The Witcherをクリアし、2も続けてスコイア=テルルートでクリア。そして今は3をプレイ中です。
「何が敵であるのか」を明示するためにゲーム世界では「善と悪」「光と闇」といった対立構図が主軸となる場合が多いように見受けられますが、The Witcherシリーズでは単純に二分されることもない空間を、やはりどちらとも言えない主人公:ゲラルトとして歩くことになります。
そもそもが「報酬をもらわなければ動かない」人物であり、クエスト自体に「関わらない」という選択もあるので、いわゆる「クエストでの振る舞いを強要される」といった感覚がほとんどありません。
(意図したような流れにならないということなら、しょっちゅうありますが)
そんな中、私はできる限り「穏便に」事を運ぶ選択を続けています。
プレイ方針として、人間と非人間族のどちらを助けるかの選択を迫られた場合は非人間族側に立って人間と斬り結ぶわけですが、そういった二者択一でない限りは、でき得る限り多くの人を救おうとしているつもりです。
――にも関わらず、結局は戦うことになったり、恨まれることになったりする我がゲラルトさんなのでした。でも、それが面白い、そこが楽しい、と思える作品ですね。
っていうか、不穏なことを口走っている悪漢とか、思わず始末したくなっちゃうじゃあないですか。
[穏便なゲラルト像を――]
数年越しで初代The Witcherをクリアし、2も続けてスコイア=テルルートでクリア。そして今は3をプレイ中です。
「何が敵であるのか」を明示するためにゲーム世界では「善と悪」「光と闇」といった対立構図が主軸となる場合が多いように見受けられますが、The Witcherシリーズでは単純に二分されることもない空間を、やはりどちらとも言えない主人公:ゲラルトとして歩くことになります。
そもそもが「報酬をもらわなければ動かない」人物であり、クエスト自体に「関わらない」という選択もあるので、いわゆる「クエストでの振る舞いを強要される」といった感覚がほとんどありません。
(意図したような流れにならないということなら、しょっちゅうありますが)
そんな中、私はできる限り「穏便に」事を運ぶ選択を続けています。
プレイ方針として、人間と非人間族のどちらを助けるかの選択を迫られた場合は非人間族側に立って人間と斬り結ぶわけですが、そういった二者択一でない限りは、でき得る限り多くの人を救おうとしているつもりです。
――にも関わらず、結局は戦うことになったり、恨まれることになったりする我がゲラルトさんなのでした。でも、それが面白い、そこが楽しい、と思える作品ですね。
っていうか、不穏なことを口走っている悪漢とか、思わず始末したくなっちゃうじゃあないですか。
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